BLUE YOMOGIでは、まずよもぎの自社農園の復活をさせながら、提携農家を増やすことから始めました。
創業者自身がマンゴー農家をしていた経験から、沖縄の農家の収入をあげていきたいという強い想いがあったからです。 これから農業をはじめる人たちを新規就農といいます。
かれらの選択肢の幅をふやすために沖縄北部の自治体を駆け巡り、よもぎの提案をし始めたのです。たとえば宜野座村では治験栽培をスタートさせたり、名護市では簡易で始めれる農産品としてアピールしたり、与論町(旧 沖縄管轄)までいき、よもぎ栽培の魅力をアピールしていました。
他にも地域の農業組合にも同じ提案をして巡りました。たとえば名護市羽根地エリアでは20人の農家がよもぎの話しに喜び歓喜しました。農園の中心である今帰仁村では、頻繁に勉強会をおこなってよもぎの見識を深めています。 地域の大きな農業生産法人にも出向きました。
そうやって地域のつながりのなかで、個人法人あわせて30名くらいの母体でよもぎ栽培を進めてきました。それがBLUE YOMOGIと地域の関わりのスタートです。
六次産業化として製造業をおこなう私たちは、原料(農家の生産量)があるから仕事ができるわけで、彼らが元気にがんばってくれるほど、私たちも頑張れるということが分かっていたからです。だから自分達だけでなく、地域を巻き込み、地域に元気にする大義がなければ、この事業はなりたたないと感じていたのです。
口コミで広がった、よもぎをやりたいという声にはすべてOKをだし、1㎏からでも買い取る姿勢で農家を大切にす。そして私たちもよもぎを育て、やり方を共有し、よもぎの見識を深めていったのです。